年末になると、家内の実家では近隣の人や親戚が集まり「餅つき」をする。昔は杵と臼を使い本格的に行っていたそうだが、最近は「餅つき器」なる機械を使い出来上がった餅の固まりを、みんなで手で小さく切って丸めていく。「餅つき」といえるのかはわからないが、参加している人達は「餅つき」と呼んでいる。
毎年年末の忙しい時期に行うので、家内や子供達は楽しみにして出かけるが、私は最近ご無沙汰している。餅はあまり好きではないことも理由である。「餅つき」は好きな人にまかせておこうとこれまでは考えていた。
いままで私にとって「餅つき」は、正月に餅を食べるために年末に行うという印象しかなかったが、実は様々な意味があるとわかった。
日本には「稲作信仰」というものがあり、稲は神聖なものだと考えられてきた。稲から採れる米は人々の生命力を強める神聖な食べ物であり、米をついて固める餅はとりわけその力が強いとされていた。そこで、祝い事がある時などは「餅つき」をするようになったそうだ。1年の始まりであるお正月は餅が重要な役割を果たすので、年末に「餅つき」をして新年を迎えるようになったという。
また、「餅つき」にはもう1つ意味がある。1人ではできないため、皆の連帯感を高め喜びを分かち合うというものである。
昔は年中行事の中で餅の贈答が頻繁に行われていた。同じ時に作った餅を配ることによって、みんなで一緒に食事をすることの代わりにしたそうである。
そう考えると、今でも地域の人々が集まって行う「餅つき」は、ご近所が同じものを食べるという貴重な機会であり、地域社会をつなぐ重要な役割を担っているといえる。
そういえば、以前私が住んでいたマンションでも毎年12月に「餅つき」大会をしていた。その時にしか顔を合わせない人や話をしたことがなかった人と言葉を交わしたり、駅ではよく合う人が同じマンションだったと気づくこともしばしばあった。「餅つき」は昔も今も地域の人々をつなぐ重要な役割を果たしていると感じる。
今ではなくなりつつある地域の人々のつながりも、「餅つき」を行うことで十分深まるのではないだろうか。たまには、家内の実家の「餅つき」に参加してみようかと考えている。