2018年7月18日、南アフリカ共和国(南ア)のネルソン・マンデラ元大統領の生誕100年を祝い、民主主義と反差別を訴え続けた功績を振り返る式典が世界各地で開催された。南アには今もアパルトヘイト(人種隔離政策)の「負の遺産」が色濃く残っているが、同氏の人物像や功績から学ぶべきことは多い。
マンデラ氏はアパルトヘイトへの抵抗運動を主導し、1964年に国家反逆罪で終身刑となり、重労働の服役生活を余議なくされた。90年に釈放された時は既に71歳になっていた。
27年も収監されながら、決して屈しなかった彼の精神は尋常ではない。収監中にも勉学を続けて法学士号を取得。アパルトヘイトの主要勢力であるアフリカーナー(特にオランダ系白人)との対話に備え、アフリカーンス語や歴史、ラグビーの知識を学んだ。
93年にノーベル平和賞を受賞。翌年に南ア初の全人種参加選挙が実施され、同国初の黒人大統領に就任。新しい国づくりでは、全人種の融和を図るため、6つの原色に彩られた新国旗に象徴される「虹の国」を掲げ、新国歌の制定など様々な手を打った。
大統領就任の翌年、南アでラグビーワールドカップの開催を控えていた。ラグビーはアパルトヘイトの象徴として、大多数を占める黒人の国民の間では不人気であったが、マンデラ氏は南ア代表チーム「スプリングボクス」が南アの白人と黒人の和解と団結の象徴になると考え、全力を挙げて支援。スプリングボックスは初出場で奇跡的な優勝を成し遂げた。当時の南アの状況は、クリント・イーストウッド監督による映画「インビクタス/負けざる者たち」で描写されている。
一方、世界に目を向けると、不安な動きがみられる。トランプ大統領のもとで米国は内向き志向を強め、不寛容な言動が目立ち、各国との摩擦を深めている。寛容と多様性を重視してきた欧州でも、近年、移民・難民の受け入れに反対する声が高まり、ポピュリズム(大衆迎合主義)や排外主義などが勢いを増している。
マンデラ氏は自伝『自由への長い道』の中で「肌の色や信仰の違いから人を憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。憎むことを学べるなら、愛することを学べるはずだ」と述べている。人種や宗教の違いを乗り越え、寛容さと他者への思いやりを大切にし、世界中の人々の融和が図られることを願っている。また、外国人居住者が増えていく日本においても、マンデラ氏のような寛容を期待したい。