少子高齢化に起因する日本経済の活力低下は今最も懸念される将来不安であろう。そのため、経済面では、政府の打ち出す経済政策も手厚いものとなってきている。
そこで問題になるのが、フリーライダー、ただ乗り者ともいうべき存在である。
企業などの組織におけるフリーライダーは、自分は仕事の手を抜き働かないが、ちゃっかりと報酬は受け取る。つまり、他の社員・職員の生み出した付加価値に寄生する。
経済社会においては、経営改革の努力をせず、政策的な支援だけはしっかりと受けようとする事業者ともいえる。政府の借金が一千数百兆円に膨らんだと非難しながらも、その恩恵をだれが受けて来たのかには口をつぐむ。
フリーライダーには、報酬が少ない、支援が少ないといった不平不満はつきものだが、その語り口は、恥ずかしいぐらい第三者的だ。経営者が悪い、政府が悪いなど他者を声高にののしるが、その一方で、自分は何をしたか、何ができるのかは語らない。語れないというべきか。
フリーライダーを放置すれば、当然、皆が生み出した付加価値も税金も横取りされ、そして、そのままではフリーライダーは増殖する。さらには生産性の低下により、企業も国も、もっと優れたライバルに打ち負かされる。
また、予備軍もいる。重要な仕事から外された高齢者、使い捨てられる若年労働者、事業承継を考えない零細事業者、家庭で暇を持て余す主婦など。
そのため、企業や政府は、組織・社会を挙げてフリーライダーが損になる仕組みを導入することが重要化する。
じっくりと腰を据えた人材教育・育成や企業サポート、それと同時に、成果の確認・強化のシステムを組み入れていく必要があろう。どちらが欠けても、効果が霧消したり、短絡的な成果のみに終始したりして将来の発展はあり得ない。
陳腐な説教話に取り入れられる格言だが、「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが、国のために何をできるかを問うて欲しい」。世界で最も繁栄する国の、力強い成長をたどる時期の若い指導者の言葉である。
企業も国も、その維持・発展は、それを構成する人々は何ができるかに懸かっており、結局、人が変わらなければ、企業も国も変わらない。フリーライダーを養う力が弱まっているこの国の、人材埋蔵量はまだまだ豊富であろう。